子どものストーリー

かかわり方

ほとんどの子どもたちに直接会わないまま、4月16日(木)から、オンラインを中心に活動が始まった。いつもの4月であれば、1ヶ月間は昼休みに子どもたちと15分程度の面談をしたり、みんなで遊んだり、決め事をしたりして、盛りだくさんで、あっという間に過ぎていく。この4月の最初の1週間は、することが多いというよりも、初めてのことづくしで、戸惑いながらあっという間に進んでいった気がします。

うまてぃー
うまてぃー

この記事では、この16、17日のことや、この時期の子どもの面談を大切にしている理由を記録しておこうと思います。

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16日と17日のこと

まだまだ子ども大人もオンラインの環境に慣れていないので、16、17日はひとまずは、ゆるゆると始めたい、というのが当初の計画。でも、少し忙しいスケジュールにしてしまったかなという気がしました。

16日の流れ
  • 朝の集い(朝の会)45分 ミニホワイトボードを使った自己紹介、◯×クイズ、今週の予定
  • 1人10分ZOOMで、面談(おしゃべり)
  • 昼ご飯食べ終わったら、ZOOMを繋ぐ。勉強進めている人がいたり、みんなで「カタカナーシ」というゲームで遊んだり。1時間
  • 「シャベリカ(宇宙兄弟版)」で遊ぶ時間 30分
  • 算数・数学を楽しむ時間 20分
  • 帰りの集い(帰りの会)30分 ブレイクアウトルームで今日一日どうだった?
17日の流れ
  • 朝の集い 45分 ミニホワイトボードを使った自己紹介をブレイクアウトルーム✖︎2回
  • 1人10分ZOOMで、面談(おしゃべり)
  • ZOOMつないで、「ワードウルフ 」というゲームで遊ぶ時間 30分
  • 算数・数学を楽しむ時間 20分
  • 帰りの集い 30分 ブレイクアウトルームで共通点探し、来週の予定

<説明>「カタカナーシ」は、カタカナの語句をカタカナを使わないで説明するゲーム。お題をZOOMのチャットで出して、その子が説明をして、何のカタカナがお題で出ていたのかを他の人が当てる。このカードに載っているカタカナをお題に出してもいいし、自分で作ったお題でも楽しめる。

<説明>トランプにもなる、おしゃべりするテーマが書かれているカード。ZOOMの画面上で、裏返しにしたカードを広げて、その中から1つ選んでもらい、そのテーマで話をする。

<説明>ワードウルフ はスマホのアプリが無料であって、お題が出る。例えば、「たこ」と「いか」。人狼ゲームの言葉版。(詳しくは、上のサイトへ)

16日の帰りの集いが終わった後、ものすごい肩が凝っていました。オンラインでずっとやりとりをすることで、たくさんエネルギーを使っていたことに気づきました。子どもたちも3時間近く画面を見ていたんではないだろうか・・・。きっと長い長い春休みがあったから、生活のリズムを整えるのに大変で、頑張って早起きした人もいただろう。そして、子どもたちも初めてのことづくしで、すごく緊張した1日だったと思う。

最初の1日にしては、すること詰め込み過ぎてしまった。ほとんどの子どもに直接会えていないという焦りや、今までにない条件でのスタートで、僕の中では不安感が強かったのかもしれない。画面越しでも、同じ時間を子どもたちと長く過ごすことで、そんな不安感を拭おうとしていたのかな。帰りの集いが終わった後、一緒にホーム(学級のようなもの)を担当しているスタッフと、1日をZOOMを使って、ふりかえる。3月のナラティブ・インタビューで僕の陥りがちな失敗を聴いてもらっていたので、ずばっとフィードバックをもらえるので、とてもありがたい時間だった。たった15分だけでも、一緒にふりかえれる仲間がいることは、すごくいい。

16日や17日に一番やりたいことは、子どもたちとの面談(おしゃべり)でした。

4月に面談をすることの意味

今までもこの時期に昼休みの時間をたっぷり使って、個人面談をすることに僕はこだわっていました。今回は、ZOOMという形だったけれども、全員と面談ができました。もちろん、担当する教師がこんな人だよ〜、いつでも話きくよ〜ということを話して、安心してもらいたいというのが一番にはある。さらに、同僚がどういう人生を歩んで今ここにいるのかを僕は知りたい、ということと同じように子どもがどういう人生を歩んで今ここにいるのかを知りたい。対象が子どもであろうとも、この姿勢は変えたくないな、と思っています。

教師が、教師のストーリー(物語)を生きているのと同様に、子どもも子どものストーリーを生きています。そのストーリーを知ることで、一人一人の子どもとどう接するかを、考えるヒントを得ることができます。子どもは大人ほど雄弁に語れるわけではないので、こちらから、いろいろみとっていく必要があります。子どもたちの作品からみとることもあります。他にも家庭訪問で、特技を披露してもらったり、大切にしている宝物を見せてもらったりすることでも、ストーリーを少し知ることができます。(ZOOMで、これはやりやすそう。)後は、保護者へのアンケートで、今まで育ててきてのエピソードを聞いたりもしていました。

子どものストーリーの捉え方については、以下の本がとてもいいなぁと思います。

この本の訳者まえがきも、好きな文章の1つです。

わたしたちは、過去と未来を結ぶ人生のストーリー=物語を通して現在の意味をとらえ、自分のあり方を確認する。物語が変化・転換すれば、人生の意味・自己も組み替えられる。そして、本来、学校とは、子どもが教師や仲間と共に人生の物語を綴り合う場だ。日々の学び、今ここでの仲間との経験が、その子の未来を紡ぐ糸となり、過去の物語を編み直す手掛かりになる。

D・ジーン・クランディニンら著/田中昌弥訳『子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティ カナダの小学生が語るナラティブの世界』(2011,明石書店)訳者まえがきより

学校では、人の数だけいろんなストーリーが綴られる。子どものストーリー、教師のストーリー、保護者のストーリー。それだけでなく、学校のストーリー(校則とか、学校の理念とかもだろう)や、地域のストーリーも混ざり合ってくる。だから、その学校に昔からいる先生に、今までの話を聞いてみることや、その地域を歩いて探検してみることも僕にとっては重要なことだった。そうすることで、学校が大切にしていることの歴史や、地域の特徴がわかってくる。それを知っていると、「子どものこの行動は、こういう文脈からきているのかもしれないな」と考えるヒントになることがある。

学校のストーリーや保護者のストーリー、教師のストーリーと合わさることで、子どもは自分のストーリーを変えることがあるだろう。黒板を向いて話を聞き続けることが続いたら、学ぶとは受け身なことであるというストーリーが出来上がるかもしれない。何かに熱中している先生に出会うことで、同じことに興味を持って熱中するかもしれない。このように、子どものストーリーはいい方向か、悪い方向か、どちらに変わってしまうのかわからない。そして、変わったことにもすぐには気づけないので、せめて僕は4月の時点での子どもの現在地を知っておきたい。4月の現在地が分かると日々の生活の中で、子どもがストーリーを変えたことや、変えるような何かに出会ったことにも、僕には少し分かりやすくなるからです。

次の部分も、とても好きなところです。

クランディニンとコネリーは、カリキュラムは「学校と教室において教師と子どもが共に生きる人生の記録とみなされうるだろう・・・。(カリキュラムづくりをこのように考えると)教師、学習者、教材、そして環境が動的な相互作用をするカリキュラム的な過程において、教師は欠かせない存在とみなされる」と示唆した。(中略)そして、わたしたちは人生の道筋というこのカリキュラムの考え方に思いをめぐらせているうちに、どうしたらカリキュラムは、人生のカリキュラム、おそらくは複数の人生のカリキュラムとみなされうるのかを考え始めることとなった。このように考えると、人生のアイデンティ、支えとするストーリーを綴ることが、もちろん、カリキュラムづくりの過程の中心となる。

前掲出 クラディニンら(2011)p.32

カリキュラムは、「学校と教室において教師と子どもが共に生きる人生の記録」。

カリキュラムは教師が一方的に与えるものではない。子どもと共に生きていく時間そのもの、なんだと思う。

ZOOM越しの面談は僕はなかなか苦労した。体の些細な仕草とか、距離感とかそういうものからも相手を感じながら話を聴きたいんだけど、画面越しという違和感が、ちょっとした壁を僕の側に作ってしまう。あと、今までは登下校の様子とか、休み時間の過ごし方からも、聞きたいことを見つけていたんだなぁ。一緒にホームを組んでいる同僚のおかげで、子どもたちの「〜したい」を少しずつ聞くことができた。

17日は、少し肩の力を抜くことができたかな。月曜日は、ちょっと肩の力を抜いて、子どもたちの「〜したい」をもとに作戦会議を開くところから始めていきたいなぁと思っています。

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