4月最初に同僚と行うこと

かかわり方

4月1日は多くの教師にとって、正月のようなもので、ウキウキする日のようだ。(この状況だと、今年はそうとも言えない)僕は、のんびりとスタートしたい派だけど、周りのウキウキに流されて、決めごとをしたり、学級通信の発行や教室整備をしたり、気づいたらオーバーペースのままGWに突入、みたいなこともありました。転任してきた先生や、初任者の先生たちは、その学校の進め方についていくのが必死。何事も最初が肝心です。本当に、そういう決めごとや学級開きの準備が最優先なのだろうか??僕はまずは、一緒に働く仲間のことを知りたいな。

うまてぃー
うまてぃー

今回の記事では、こんなふうに4月を始めてみたらどうだろう?を書いてみます。

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同僚のストーリーを聴く

今までの学校でやってきたこと

公立中学校に勤めていたとき、新年度最初の学年会議は、ここ何年も似たようなやり方でスタートしていました。それは「何を大切にしているか?」と「どんな子どもたちに育ってほしいか?」などを1人ずつの思いを語るということ。それを黒板やホワイトボードにメモして写真にとり、職員室の見えるとこに貼ったこともありました。これを始めたきっかけは、PA(プロジェクトアドベンチャー)の「ビーイング」という手法を知り、学年目標を話し合って決めたいと思ったからです。PAや「ビーイング」について詳しく知りたい人は、まずは、以下の『クラス全員がひとつになる学級ゲーム&アクティビティ100 』を読んでみるのがおすすめです。

年度始めは、校務分掌や教科担任、クラス分けなど決めることがたくさんあるのに、当時の同僚は快く思いを語ってくれました。「なんでこんないそがしいときに、こんなことやるのかねー?って最初は思ったけど、あれやっといてよかった」と、修了式のときに言われ、嬉しかった思い出もあります。学年主任として仕事を回すのが、いっぱいいっぱいで、この始まり方をしなかったときに、「いつものやつからやろうよ」と言ってもらえたこともありました。

2014年のときの最初の会議のホワイトボード

「何を大切にしているか」「どんな子どもたちに育ってほしいか」という問いだと、「コミュニケーションをとってほしい」「礼儀をきちんと身につけさせたい」「諦めない心を育てたい」ということは聞けます。でも、その先生が「なぜ、それを大切にしているのか」「なぜ、そのように育ってほしいのか」という根っこの話までは、聴けなかったな、そこまで聴いておけばよかったなーという思いもありました。

あのときこうしておけばよかったなー、ということのもう1つは、質問を事前に準備しすぎなければよかった、ということ。事前に聞きたい質問を準備しておいたら、ついついそれをこなすことに必死になってしまった。それでは相手が話したいことを聴いているのではなく、自分が聴きたいことを聴いてしまっている。その人が本当に話したいことを話せていたのかは分からない。感覚的なことだけど、話し手が話したいことを、聴き手としてじっくり聴くと、それ以降の話し手と聴き手の関係性がいい方向に進んでいく気がするのです。

今年の同僚とやってみたこと

つい先日、新年度に組む同僚数人で集まりました。そして、これまでどんな人生を生きてきたのかというそれぞれのストーリーを話してもらう時間を取りました。

一応、事前に問いは準備してはあったけど、全部聴けなくてもいいし、その人が話したいことをたっぷりと聴こうという姿勢で臨みました。1人30分間話してもらい、他の人はただ聴くという時間。ちなみに、問いは「どんな小中高大を過ごしてきたのか」「どんな教えられる経験をしてきたのか」「どんな教える経験をしてきたのか」でした。

やってみて、本当にいい時間でした。それなりに今まで話してきた人もいたけど、初めて聴くことも多く、お互いのことをまだまだ知らないなぁって思いました。「そういう経験があるから、こういうことを大切にしているんだね」と納得したこともありました。これからも、少しずつこういう時間はとっていきます。

僕自身、今までの教える/教えられる経験の積み重ねや、子どもたちとの関わりが、身体の中に積もっていって、それが今の自分としてあらわれているなぁって思います。過去から今までのストーリーが、僕自身を作っていたり、支えている。

だから、同僚のストーリーを聴き、同僚が支えにしているストーリーを少しでも理解していれば、日々の実践でどういうことが本人にとってのチャレンジであったり、どういうことが本人にとっての工夫であったり、どういうことに強い思いがあるかが少しでも気づくことができる。もし、何かの障壁があってうまくいってないときに、声をかけやすくなる。

そうやって、一緒に過ごす仲間として、もっと寄り添って歩いていきたい。

何度かこのブログでも紹介しているけど、どんな問いで同僚のストーリーを聴くのか、もっと考えたい人は、以下の『せんせいのつくり方 “これでいいのかな”と考えはじめた“わたし”へ』が参考になります。本に紹介されているワークを自分だけでやってみるのも、とっても効果的。

同僚と一緒に働くということ

ナラティヴ・アプローチって?

このように、人を支えているストーリーを聴くことを通じて、お互いの関係性を築いていくことを、ナラティヴ・アプローチというようです。同僚とストーリーを聴き合う前に、『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』を参考にしました。これは学校教育関係の本ではありません。使われている事例は、会社のものがほとんどです。でも、学校教育の場面でも十分に応用できる内容でした。

ナラティヴという言葉の意味は、この本では

ひとつは 、語る行為である 「語り 」としてのナラティヴ 、もうひとつは 、その語りを生み出す世界観 、解釈の枠組みとしての 「物語 」です 。この本では 、主に後者の物語をナラティヴと呼んでいます 。

宇田川元一『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング,2019)

と説明されています。なので、僕は同僚の語りから、どんな世界観の物語を持っているのかを注意深く聴いていました。さらに、ナラティヴ・アプローチで目指すことが、以下のように述べられています。

ナラティヴ ・アプローチが目指すところは 、相手を自分のナラティヴに都合よく変えることではありません 。自分が自分のナラティヴの中においてしかものを見ていなかったことに気づき 、自らを改めることを通じて 、相手と私との間に 、今までにはなかった関係性の構築を目指すことにあります 。つまり 、溝に直面した際に 、自らを改めることを通じて 、相手がその人の人生の主人公として生きていくように支援をし 、それによって 、自分もよりよい実践ができるようになっていくこと 、これこそがナラティヴ ・アプローチが目指すものであると言えます 。

宇田川元一『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング,2019)

例えば、以前の職場で、とても厳しい体育の先生がいました。プールの授業で泳げなかった生徒を昼休みや放課後に呼び出し、徹底的に個別に補習をしていました。補習をサボって帰宅しようとした生徒を、帰り道まで追っかけて行ったことも。最初は「何もそこまで厳しくしなくても・・・」と思っていましたが、よくよく話を聴いてみると、その先生には「家庭環境の違いで水泳を習える子と、そうでない子がいる。そういう差をそのままにしておきたくない。義務教育は、それがなんとかできる最後の砦なんだ」と思うに至った「物語」があったのでした。その「物語」を知る事で、僕の中に「義務教育の社会科で子どもたちに身につけてほしいことは何だろう?」という問いが生まれ、自分の実践をより良くしていこうとしていきました。

同僚のナラティヴを知ることが、他者理解にもつながるし、問いとしても自分に跳ね返ってきて、自分の成長にもつながる。それが他者である同僚と一緒に働くことの、難しさでもあり楽しさでもあります。これは、これからも心に留めて置きたいことです。

子どものナラティヴは、ちょっと複雑かも?

この1年間は、開校準備期間ということで、僕にとっては教員人生の中で、大人と過ごした時間が過去最長の1年間でした。同僚にはいろんな人がいるので、いろんな意見の違いがあります。その違いを直視せずに、目を逸らしたことも僕は何度もありました。ようやくだけど「どういう人なんだろう?」ということを、その人の物語(ストーリー)から、もっと知りたいなと思っています。

いよいよ、4月からは子どもたちに会えるわけですが、「子どものナラティヴ」は、もう少し複雑かもしれない。子どもには子どもの物語がある。でも、そこに親の物語や、学校の物語、教師の物語、他の子どもの物語が絡んでくる。自分のアイデンティティを作っている真っ最中の子どもたち。きっといろんな物語を持ってやってくると思います。ちょっと長くなってきてしまったので、そのあたりについて考えたことは、また別記事で書くことにします。

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