2020年度の社会科としての歩み(後編)

社会科・探究学習
アートは、頭ではなく心で考えることの大切さを思い出させてくれる
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世界のキッチン(10月〜1月)5、6年生対象

今まで温めていたアイデアを思いっきり試してみる社会科の授業の場を開いてみたらどうだろう?というアドバイスをもらい、それなら、とテーマプロジェクトとは別に、必修の授業として開講した授業が「世界のキッチン」でした。公立中学校に勤務していたときに、授業づくりに協力していただいた、世界の台所探検家の岡根谷美里さんに再び協力していただくことになりました。

授業の概要:いろいろな国の家庭料理を探究する中で、「家庭料理とはなにか?」「各国で共通点や違いはあるのか?」という問いを考えていく。(社会科、英語、家庭科)

回数内    容
我が家の鉄板レシピ・料理を通じて、お互いの価値観を知ってもらう。・家族の歴史をひもとく
我が家の鉄板レシピ・家から写真などをとってくる。・COOKPADのレシピを完成させて、共有する。
世界の台所についての説明(岡根谷さん)・材料から見えるその国の気候など
国を決めて、家庭料理の探究活動 ・統計データをみるのに使える文献紹介
その国の外国の方にインタビュー・岡根谷さんや、ISAK、英語スタッフチームとの協力
インタビューしたことをまとめる①・可能ならば、英語も使用する。
インタビューしたことをまとめる②
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週1回の合計8回の授業を計画していましたが、コロナでうまくいかなく途中で終わってしまうことに・・・。

最初に、我が家の鉄板レシピについて紹介してもらい、子どもたち同士で料理を通じて改めてお互いのことを知るという時間を取りました。「この料理は体調が悪い時に、いつも親が作ってくれた料理なんだ〜」「出張からお父さんが帰ってきたときに、この料理が出るんだ」など、それぞれの料理を通して5、6年生のほっこりするやりとりが生まれていました。

実際にクックパッドに子どもたちはレシピを投稿しました。

今まで選択制だった授業を「必修」ということにして学ぶ時間を取りました。多くの子たちは楽しそうに学んでいましたが、「問い」が自分の手元に持てている実感のある子は少ないようにみえました。どのように授業が進んでいくのかという方向性を僕が決めすぎていて、横道に逸れることができるような「余白」が足りなかったことも影響しているのでは、と思いました。8回くらいしか授業の時間が取れないという僕の焦りも影響していたかもしれません。途中で「学校で調理をしてみたい!」という声が上がったけれども、コロナの再拡大に伴い、制限をせざるをえなくなりました。その後、5、6年生のテーマプロジェクトの一部のメンバーが、岡根谷さんともプロジェクトを進められたことは嬉しいことでした。コロナがおさまったら、料理の社会科を学んでいく授業は諦めずに再スタートしたいと思っています。

戦争とポスター(10月〜1月)7年生対象

「世界のキッチン」と同様の意図で、7年生向けに授業を実施しました。メディアや情報にどう向き合っていくか、ということが社会科で学んでほしいことの1つです。また他のスタッフが「デジタル・シティズンシップ」という授業も始めていたので、それとの連携もできると考えていました。この授業も、諸々の事情で最後までは辿りつけなかったのだけれども、子どもたちが時事問題を通して学んでいくことの面白さに気づき、次の授業である「記者の時間」に引き継がれていくことになりました。

概要:「軍国主義・ファシズムと日本・世界の行方」戦争ポスターから読み解き、戦争ポスターを作成する。「人はなぜ偽の情報を信じてしまうのか」「戦争は国民の生活にどのような影響を与えるのか」という問いについて探究をしていく時間。教科/分野・領域等:社会科(歴史)、美術、技術(情報リテラシー)

回数内    容
SNSと情報について最近の時事問題について ・大日向という地名 ・満州事変のこと
なぜ人は偽の情報に騙されてしまうのか?ということについて歴史の外観を知る
ナチスのポスターや当時の市民のコメントを読んで考える時間 絵本『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』
ニュース「2021年1月6日のアメリカでの出来事」について ・南北戦争のミニレッスン
対話型アート鑑賞のやり方のミニレッスン ・実際に「ゲルニカ」で試す ・戦時下のポスターで行う
→多様な見方でアートやポスターが見えていくということは、社会を多様な視点で見ていくことと関連しているよ、と体験的に学ぶ授業
対話型ニュース鑑賞 ・Googleドキュメントで、過去のニュースについてみんなでコメントをする
諸々の都合で時間が足りなくなり、プロパガンダポスターの作成まで辿り着かず、終わってしまった。
対話型アート鑑賞のホワイトボード。戦争ポスターの鑑賞については、子どもたちがファシリテーターをして進めた。
2003年のブッシュ大統領のイラク戦争開戦演説のニュースについてGoogleドキュメント上で、コメントをしてから話し合う時間。

記者の時間(2月〜3月)6、7年生対象

「戦争とポスター」の授業の終盤に差し掛かってきた時に、事務局スタッフの一人や風越コラボという研修の場で出会った校外の仲間との授業づくりを始めました。このとき構想していたのは、

「1つのニュースに対して多様な意見があるということに気づかせたい」「Googleなどでニュースが最適化されてしまっていて、見ているニュースに偏りができてしまっていることを、どうにかしたい」「家庭環境などによって、ニュースに触れることができる格差ができてしまうのではなく、みんながニュースに触れていく機会をつくりたい」などの思いです。そして、「世の中のことをニュースを通じて知ったり考えたりすることは、自分たちの卒業後のよりよい未来をつくっていくことに必ずつながっていくのではないか」とワクワクしてきたのでした。また、メディアをただ消費するのではなく、将来的には一人ひとりがメディアのつくり手になっていってほしいという願いもありました。一人ひとりの発信がどんなに小さくとも、世の中をよりよく変えていくことができる。そこは社会科として目指したい姿の1つと僕が考えているからです。

回数日付内    容(全て90分で1回の授業)
2/2ニュースについてのレディネスの把握 ・5つの新聞記事にコメントをしたり、問いをつくる
2/9子どもが新聞記事を持ってきて、子どもファシリテーターが分科会を開いて対話する時間
2/16NewsPicks for Educationを使ってみる ・興味のある記事をpickしたりコメントすることの継続
3/2事務局スタッフから「発信者の心構え」の授業
3/9事務局スタッフが作成した取材メモをもとに、実際に5分のニュース番組づくりのワーク、共有
一人で設計するのではなく、学校内外の複数人と協力して作った授業の展開は、どんどん僕の予想を超えていった
事務局スタッフ作「発信者の心構え」スライド。「いいね!」を求めるのではなく、「エンゲージメント」という新しい指標の提示をした。

新聞記事にコメントをして対話することへの子どもたちのふりかえり

・私が読んだ新聞記事は、「吃音症」をある方の保護者の方の思いが書いてある記事を読んでいます。そこに書いてあったことは、その子供さんが幼稚園児だった時に吃音であまりうまく喋れずいた時に他の幼児の子供たちの親が吃音症を持っている子供のことをバカにしていた。と書かれてありました、私は、その文を読んで思ったことは、吃音症で苦しんでいる人もいるのにそうやって人をバカにするような言い方をするなんて人としてありえないし、最低だぁ〜って思いました。私の身の回りにもし吃音症を持っている方で喋るのに困っている方がいたらお喋りをするのにその人をバカにするような言い方では、なく、その人の助けになれるそんな人になりたいなぁ〜と思いました!

・私は、「感情」という記事を読んで気になったので、そのことについて数人の人たちと話合いました。「感情」の記事を読んでどう思ったか、疑問に思ったことなどを出しました。私が疑問に思ったことは、「なぜ、感情でコロコロ変わるんだろう?」という疑問です。人間は、その時、その時で感情が変わります。感情がコロコロ変わるってとても不思議だと思いました。その疑問に対しての答えは一つではないと思いました。いくつもの答えがあると思いました。みんなでいろんな意見を交換できて、それぞれの感じていることが分かったりしてよかったです。人間は、感情がコロコロ変わることは、不思議で面白いな〜とも思いました。

新聞記事やニュースを通じて今まで自分が知らなかった世界を知ることができます。同じ新聞記事について対話をすることで、自分とは違う意見に触れることができて面白いという思う子が回を増すごとに増えていきました。90分という授業の時間は長いのかな、と思いつつも1つのニュースで対話をしているときの盛り上がりを見るとちょうど良かったのかもしれません。授業が終わった3月後半でもNewsPicks for Educationのwebサイト上で、数人の子どもたちはニュースを読み、定期的にコメントをしている様子ですが、実際に顔を合わせて話している方が多様な意見が活発に出ています。発信者としての心構えを学び、実際にニュース番組を作成したことで、「作家の時間にいかしていきたい」「出版社のプロジェクトにも活かせそう」「ニュース番組の見方が変わった」など、の言葉が振り返りにありました。まだまだ子どもたちが一人ひとりメディアのつくり手となっていくには、積み重ねが必要そうです。

学びの地図づくり

「学びの地図」については、ようやく本格的に子どもたちと使っていける準備ができたので、4月以降にちゃんとここまでどういう経緯で考えてきたのかを、このブログでも書きたいと思っています。簡単にいうと、「学びの地図」とは、社会科の学習指導要領に書かれていることを網羅するのではなく、精選するとどのようなものになるのか?それを「学びの地図」として、どう子どもに手渡して使っていけ場いいのか?を夏頃からずっと何人かのメンバーと考えてきました。ちなみに、社会科で学んでほしいことを精選するときに、僕が主に参考にしたものは『WORLD STUDIES』と『思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践』の2つの書籍でした。

サイモン・フィッシャー&デイヴィット・フィックス『WORLD STUDIES』(1991)

総括

コロナや開校の忙しさで、すっかり忘れていたときもありましたが、風越にきて、僕が社会科スタッフとしてやりたかったことは、僕が予想もしないような探究を子どもたちが楽しそうにやっていくことだったんだということをじわじわ思い出し始めていきました。そして、ふりかえってみれば、その予想もしないような探究は「子どもと子ども」「子どもとスタッフ」のコミュニケーションがたくさんあり、子どもやスタッフにエネルギーが生まれたときに起こっていました。

社会科とは関係なく、「今の必修の置き方はおかしい。学べている実感がない!私たちのカリキュラムは、私たちで作るんだ!」と動き始めた4人の、6、7年生と過ごすことが多くなったことから気づくことは多かったです。僕は子どもが「自由」になっていくための環境を与えたつもりだったけど、その受け止め方は子どもによって違っていました。「私は、こうやって社会科を学びたいから、この時間にこういうやり方で授業をしてほしい」と言われて、2度ほど授業をしましたが、その授業中の彼女たちのイキイキした表情は忘れられません。その4人はスタッフから与えられた「自由」ではなくて、自分たちで獲得していった「自由」に、学んでいる実感を得られたのだろうと思います。この子たちの動きは「必修」というある程度強制力のある仕組みにしたからこそ生まれたのであり、だからこそ生まれたエネルギーだったと思います。とはいえ、僕には社会科として出会わせたいこともある。そして、子どもが自分で学びをつくるということへのチャレンジも一緒にしていきたい。この1年間の試行錯誤を経て、その両立は必ずできると確信しています。鍵は「コミュニケーション」。一人ひとりとのコミュニケーションを増やす。スタッフとスタッフ、スタッフと子ども、子どもと子ども、スタッフと保護者、保護者とスタッフなどいろいろなコミュニケーションの軸があります。保護者や地域の人々はそれこそが生きた社会科の教材でもあるし、保護者や地域の方と子どもが知り合うところから、社会に出会っていくのもいいかもしれません。

そんなことを考えていたら、来年度、僕がやるチャレンジは、子どもが学びの世界にどっぶりはまれるような道をつくっていくことなのかもしれないと考え始めました。一人ひとりが持っているエネルギーをせきとめないように、たっぷり出すためにはどういうことをしていけばいいのか?というチャレンジ。この問いがいいのか悪いのかは別として。どっぷりとはまるためには、どのようにすればいいのか?それは学びの世界に出会うきっかけづくりの工夫も必要そうだし、はまっていくことのできるような時間の余白も必要なのかもしれない。また、子どもが今何にはまっているのか、そのことを社会科的な側面から見ていくことも必要になってくるのだろう。

もっともっと子どもに相談をしていこう。そうすることで、どんどん主導権を子どもに手渡していこう。僕は、どうやら「うまくやってやろう」っていう大人の頭で考えているときよりも、「ワクワクするなぁ」っていう子どもの心で考えているときのほうがゾーンに入って、いいものが作れている。そんなチャレンジをする来年度にしたいと思います。

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