【ノート作りは本当に必要なことか?】

社会科・探究学習

9年間、ノート作りを、こだわって指導をしてきました。

マインドマップのフェロー(学校などで公的にマインドマップを指導する

講師ができる)の資格を取りに行ったり、ノート指導の本を片っ端から読んだり。

でも、本当に「ノート作り」って必要なことか?

って思います。(中学生は、特に)

先日、生徒からこんな話を聞きました。

「私は、社会はあまり得意ではないけど、理科は結構得意になってきました。

社会は、先生が言うように、ノート作りをしているけど、頭に入ってきません。

綺麗にノートがかけて、そこで満足してしまいます。

覚えようという気持ちになりません。

でも、理科はレポートを作成しているうちに、授業で習った言葉を

たくさん使っていくから、自然と頭に入っていくんですよ。」

この生徒が言うように、ノート作りは、それ自体が目的になって

しまうこともあります。ノートがきれいにかけたから、満足

そして、高い評価を受けるのは、レイアウトや色づかいが

綺麗な女子が多かったりします。

先生が書いたきれいな黒板を、写していけば、きれいなノートが出来上がります。

黒板を書けば、先生にとっても、「きちんと授業を伝えたぞ」って、安心だし、

子どももきれいにノートに写せば勉強した気持ちになって安心です。

そして、そのノートをみた保護者も「あら、うちの子は勉強しているのね」

と、安心を得ることができます。

でも、安心を得るために、ノートを取るのでしょうか。

ノートは、自分が分かるようなイラストやメモでいいし、

ノートは、自分の思考がたくさん書いてあるようなものでいい。

大人になった自分の今のノートを見ていると、そういうノートの

方が、後々有効に活用できています。

だから、きれいなノートを作らせることって、

その子の未来にとって、どういう意味があるのだろう?

と疑問を持つようになりました。

もちろん、家でノートまとめをするというのも一つの学び方だから、

全否定するつもりはありません。

一方で、そうではない学び方もたくさんあります。

学んだことをアウトプットするレポートなど、

頭をフル回転する時間も大事では?

もし、ノート提出をして点検するのなら、

点検することは、

「何を考えた?」「何を思った?」でいいのかなぁと。

もっと大げさに言えば、

「世界や日本で起きている出来事を、自分が今まで学んできたことを

使いながら、どう向き合っているか?」とか。

今までの、ノート作りやノート点検で、

みんなの学び方の選択を狭めてしまっていました。

自分は、ノートを作ることは結構好きな方でした。

先生が得意なことは、授業を作っていく上で、影響していくから

しょうがないかもしれないけれども、

そこを自覚しているかどうかって、すごく大きなことかもしれません。

ノートを作ることが、どんな学びにつながっていくのか。

それをきちんと考えた上で、ノート点検なり、ノート提出を

して、生徒たちにフィードバックをしていければいいのだと

思います。

ノート作りをすること自体が目的化しちゃいけない。

受け身なノートではなく、思考するノートにしていきたい。

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